私が歴史に興味を抱いたのは、小学校5年、6年生の時。
    とある先生が、『今の歴史の教科書、本当の事実だと思う?』と言い放った言葉。
    それ以来、ずっと戦後教育の中に隠されてしまった【日本の歴史】に、逆に興味を抱き始め、その重たい発言がその後の私の人生観を変えました。とても感謝しております。
    
    今の常識は、明日の常識では無い。
    どこかで、屈折させられてしまったようだ。
    残り時間が少ない。取り返さないと。真実の日本史。世界史を。
    報道しない自由の日本?反日的思考を刷り込ませるマスメディアに取って変わりつつある、WEB社会の今だから、かの教育委員会も何も言えない。
    
    古事記・日本書紀に凝り固まった歴史学会の保守的な一部。他の文書(もんじょ)が全て偽書とは思わない。
    
    また、日本国にやたらと文句をつける方々は、日本国から他の国へ移住すれば良い。
    日本に住み続けるならば、郷に従ってもらおう。それはどこの国でも共通認識。
    
    ちなみに私は、左翼でも右翼でも無い。自分の考えを持った小川名翼。
    そして、日本国歌【君が代】を堂々と歌う日本人。(世界の常識では、自国の国歌に誇りを抱いている)
    そして、真実を求めたい日本人。
    
    かつて、私が小学生時代に、当たり前のことを教えてくれた先生に、心から感謝します。
    また、その勇気を心から讃えます。
 
    
    7万㎡を発掘した町田市木曽西2丁目にあった忠生遺跡があった地の、とある建物屋上からの夕日。
    
    写真では上手く写せませんでしたが、丹沢の尖った蛭ヶ岳を中心に、西側は丹沢山地と奥多摩、秩父連山がよく見渡せます。
    
    当然、我等が住む旭区の地も東の地平線上に。
    
    流石は縄文人。目の前の境川から少し上がった南斜面の広大な一等地に。
    
    16,000年以上の歴史があるとされる、我々の先祖と思われる縄文人は、偉大すぎる。
    まだまだ、彼等の真の偉大さを我々は知らない。
    ここでは、東日本では稀に見る出土品がたくさんあります。
    
    そして、とある方(歴史学者ではない)が唱えている集落遺跡・古神社・一宮に関して、ある法則を持って、論理的に発しています。(それによれば、人間が成しえた技術力を超えた何かが、そこに力を及ぼしていたとしか考えられない事実が浮かびあがります)
     
    論理的に解明された最初の神社の2つのうちの一つには、1年以上前に伺っております。
    茨城県の東金砂神社。少彦名命を祀っています。
    
    これに目を奪われたのは、この記事。真偽はあとあとに任せつつも、この導き出し方、尊敬しています。
     
    ここと関連ある茨城県の近津神社にも、
    重層的に歴史が塗り替えられた可能性を感じる香取神宮にも、何度か足を運んでいます。
    
    歴史的には、藤原鎌足・藤原不比等親子の存在が大きく響く。
    古事記・日本書紀の編纂に大きく係わる。
    良くも悪くも。そして強大な方々。
    それ以前の歴史が、よく分からないものになっているが、逆に、皆さんもその真実を知るために頑張っている。
    
    考え違いをしないで欲しい。【藤原氏】が居なければ、今の日本は存在していない。
    平安時代東国の英雄、藤原秀郷公は大好きです(東国の煌めく時代を作れそうだった平将門公も)。藤原氏を否定するものでは無い。母方は、佐藤姓(藤原系)ですし。
     
    青森県から、歴史的な新たな発掘が相次いでいます。
    京都中心主義でまかり通っていましたが、土の下に埋もれた歴史は決して噓を付かない。
    いくら、その時の政権下で自分達に有利に、歴史を変えられても【真実】は土の下から雄弁に語る。
    
    また、建設業で一番重要且つ怖い、口コミ。
    これ、歴史上でも非常に重要な役割を果たしております。
    口伝いに代々伝承されたものにこそ、本当の歴史的真実が眠っています。
    それは、『口伝・くでん』であり、『昔ばなし』 『庶民の詩』の中に。
    竹取物語、一寸法師、桃太郎、浦島太郎など、皆が知っている昔話のなかに真実は眠っています。
    イザナギ・イザナミ神話・少彦名(エビス様)神話・但馬守(タジマモリ)の話、
    生まれたときは小さかったけど・・・
    海へ行ったり、地中に行ったり、月に行ったり、黄泉の国へと、かつては自由自在に地球内部・地球外へと活動しまくっている。
    そこには、宇宙人の存在、宇宙人との血の繋がりも否定できない。
    
    神明社といえば、天照大神と決まっていますが、
    我が地の川井神明社(近頃上川井神明社と書かれている)で祀っている神様は少し変わっていて、ニギハヤヒ(アマテルクニテルニギハヤヒホアカリノミコト)。
    天照大神が、仮に卑弥呼だとすると、それ以前の神(この地の統治者)がニギハヤヒだったとしても何も不思議ではない。
    
    タブーかも知れないが、
    アマテラスと、アマテラスクニテラスとあまりに本名(贈名)が似すぎ。
    タケミカヅチと、タケミナカタと、やはり酷似しています。
    
    さて、どちらが先なのか。どちらも存在したのか。或いは象徴としての物語的存在だったのか。
    それはご自分で探されて下さい。私にはまだ分からない。
    
    しかし、今後先々、真実が解明されて、今の歴史教科書は変わります。
    これまでも、変わり続けてきたように。
    (未来の歴史教科書を見てみたい)
