【井伊直弼】が見守る 開港地横浜

私達が授業で習った、井伊直弼。【教科書では、あまり良いイメージでは描かれていない】
当時、彦根藩主でありながら、江戸幕府の大老を勤め、
【日米修好通商条約の締結】
【安政の大獄】
【桜田門外の変】
と、歴史的には、日本が【明治維新】へと突き進んでいく中で、彼を書かずして、【幕末】を語れない人物。
歴史的評価が分かれる部分でしょうが、当時の政治状況から見ると、あえて将来の日本のために、捨て石となるべく悪者の汚名を買ったかのような人物。そして実行者。
しかし、【安政の大獄】は、【暗さ】を増長する。

桜田門外の変で亡くなってから、かなり時間を経て、明治42年になって、旧彦根藩士らが、建てられました。

今の銅像は、戦後に改めて造られたものです。

何度見ても、姿勢正しく、目がキリっとしていて、【断行者】という姿を銅像から見てとれます。

安政の大獄は、悲しい史実です。不平等条約と言えど、開港しなければ当時の日本は、海外列強に侵される可能性が高かった。警護を多く付けることを断り続けて、後の【桜田門外の変】。
それぞれの立場は違えども、彼は【死】を覚悟しながら、一方の役を演じきった【武士】であり、【サムライ】だと思います。
一方、彼を討った水戸藩士・薩摩藩士の方々も、その後、裁きを受け自害。
しかし、確実に我々の未来を作った方々です。

彼の時代の横浜は、漁労を生業としていた【寒村】。眼下に見えるみなとみらい地区はまだ海の底。
(大岡川、中村川の間の広い範囲は、江戸時代初期に、吉田勘兵衛らが埋め立てて、水田とした立派な土地が存在しました)

それから、160年経過した横浜のこの景色を
井伊掃部頭直弼 公(いい かもんのかみ なおすけ)は、想像できただろうか?

そして、この景色は今後、どのように変わっていくのだろうか。

横浜は、ここ100年弱で、【関東大震災】、【横浜大空襲】と経験しているだけに、いつまでも右肩上がりで発展(世間でいうところの)を夢見ても、もしかすると『歴史は繰り返す』で、瞬時に無くなるかも。
それとも、さらに、住まいやすい都市に変貌しているのでしょうか?
どうでしょうか?井伊さん。

傍らで、平和の象徴の"鳩さん”が、桜吹雪が舞い散る芝生の上で、日向ぼっこしていました。

さて、我々も奔ろう。

P.S.先ほど、NHK大河ドラマ【西郷どん・現地では畏敬の念で、西郷さあ(様)と呼ぶ】では、一橋慶喜に対して、弱気で、悪役的に佐野史郎が演じていましたが、実態がどうであったかは解りません。

しかし、江戸幕府vs薩長土肥・水戸藩・浪人等、戦いはしたけれど、幕末に命を賭して、後の世のために、必死だったことだけは、確かだと思います。

そして、水戸・尾張・紀州の御三家の立場を飛び越えてまで、彦根藩の井伊直弼が大老として敏腕を振るうことは難しかっただろう。
【逸材】だったことは、確かです。