南伊豆、拠点を作りたいです

創業、1年足らずの当社としての近い将来の展望として、今現在として、考えている地域があります。
① 横浜市西部地区
② 長野県上田市
③ 南伊豆地区

将来的な様々な要素として、今現在考えられる、安住の地として、私達が住んでいる横浜市旭区を流心とした横浜市西部地区を1番に挙げていますが、それは私と先祖代々を育ててくれた地域として、贔屓目に見ております。

我が長女が、理容師の資格を獲得し、とても良心的な横浜市瀬谷区のとある理美容系の床屋さんに、丁稚奉公しておりますが、

そこの経営者が、とても社員思いな方々で、この度、伊豆下田地区に連れて行って下さいました。

写真の取り方は、我が娘故に、少々天然な部分はありますが、やはり南伊豆下田市の海岸は美しいですね。

少々、おかしな雲が気になる点ではありますが、私も1年前に目を付けていた南伊豆は、スキューバダイビングをしても良し、温泉の船室も良し、石廊崎・西伊豆側も含めて、本土(昔的な言い方でスイマセン)の中では、注目の地です。

神奈川県の三浦半島を筆頭に、伊豆熱海、・伊東地区・千葉県安房地区周辺と、成功者が別荘を建てる地で有名ですが、

地震・津波の高さ・断層・プレートと、様々な角度から検討すると、フィリピン海プレートに押されている地区は、古い歴史書を紐解くと、噴火・地震・津波、それから派生する農作物の出来具合を考えるに、安住に近い土地にはなりにくいと。

いっそのこと、プレートが押される側から、押している側に目を移すと、南伊豆地区という選択肢が有力となってきます。

日本国・静岡県が公表している巨大地震時の津波の高さにおいても、10ⅿ~20mと、ある程度の高台(海抜20m以上)に占められている南伊豆の強さが際立っています。

砂浜の波紋が綺麗ですね。

でも、この砂浜も、大地震時には、サクッと洗われてしまうのでしょうね。

ただ、ある程度の高台は、昨年の調査によれば、腐るほどあり、地震時・余震時さえ上手く過ごせば、海岸戦に戻ることも可能であり、何よりも、美味しい海産物に恵まれていることも魅力です。交易ができる港もあるし。山の幸もたくさん。

ハリスが、下田で粘って、日米友好通商条約を勝ち取った場所であり、滞在場所に選んだ地からも、当時のアメリカ人、そしてハリスの先見性を感じずにはいられません。

ペリーの黒船を機に、大きく動いた日本。それをさらに推し進めたハリスにも注目です。

椰子の実(ヤシ)が、無造作に置かれていますが、

『名も知らぬ 遠き国より 流れ寄る ヤシの実一つ・・・』という名曲椰子の実。
島崎藤村の作品は、皆も頭の隅で懐かしく覚えていることでしょう。そしてその情景を思い浮かべやすい。

島崎藤村は、長野県小諸地区に滞在し、『千曲川のスケッチ』を書きあげた浪漫派作家。
(上田市を進出の地と考えている我々には、馴染み深い)

長野県木曽の馬籠で生まれた方で、『夜明け前』が、一番有名ですかね。
(学生時代から、読むたびに、眠ってしまう不思議な作品)

誘われて、四半世紀前に、馬籠宿、妻籠宿と、旧中山道を旅したものです。

山無し県の長野県出身者(砥石)ゆえに、『椰子の実』は我々に余計に新鮮さを与えてくれます。

横浜市西部地区、長野県上田市、静岡県南伊豆地区と、拠点をつくり、線を結んで、次世代次々世代のために、実質を伴った理想郷を創りたいものです。

※イーハトーブの宮沢賢治氏、青春時代の苦悩を見事に描いた武者小路実篤氏が、それぞれチャレンジした理想郷は、結果として上手くはいきませんでしたが、私達はその心意気を胸に、時には反面教師して、ビビりすぎる危機管理感覚のもと、それを望む方々へ、先ずは逃げていただきたいと本気で考えております。私がかつて貪んで読んだ、武者小路実篤も、理想郷創りをされていました。