お盆は墓参りと、読書

日本にとっては8月15日は、終戦記念日であると同時に、ご先祖様の霊と向き合う大切な時間。
午前中は、現場の片付けと、顧客様からの相談に対する対応をしながら、12時からの天皇陛下のお言葉を聞いておりました。その前に読書。

小川名輝明家は、ありがたいことに、お墓参りすべくお寺、殿墓は、すべて旭区に集中しているため、1時間超もあれば、すべてご挨拶に伺えてしまう地の利があります。

今日は、白根の正円寺へ。

婆さん、ありがとね。

今宿西町の本立寺。

最近、地元有志の方々、大地主様の寄進により建て替えられたばかりの本堂。

日蓮上人様を拝めるように、少し引き分け戸が開いていました。

カミさん方の、母上、爺さん、婆さん、曾爺さん、曾婆さんが眠るお墓に手を合わせました。

長男、長女は、今年から就職して、悲しいかな私の子供ゆえに、お盆休み無しで働いているので、彼等の分も含めて手を合わせました。

これまで、本当にありがとうございました。
今後も、宜しくね!

カミさん方を、先ずは優先し、小川名系の墓参り。

昨日の夢枕に出てきた、オヤジの墓。

オヤジは、寅さんのように、まゆげに大きなほくろがあり、まゆげは両津勘吉のように繋がっており、トンボ系の昆虫のような顔をしていましたが、今朝はギンヤンマが、何度も我が家(私)の前を、行ったり来たり。

来たよ!オヤジ。世話になったな。少し寂しかったんだべ。施設に入っているあなたの奥さんが、心配でならないんだろ。言葉少ないオヤジながら、気持ちが手に取るようにわかる、それでいて尊敬する父でした。

本家の墓へも、当然墓参り。
沢山あるすべての墓石にお線香をあげ、合掌。

見たことの無い爺さん(戦線も佳境時に、パプアニューギニアのビアク島へ向かう船に乗船したまま、沈没死・今も海の底)も、その後を女で一人で守り切った婆さんもお疲れ様。

大伯父の近衛(天皇陛下を護るために、直属で皇居にいた部隊・当時は、選抜されたらしいですが、旭区でも数少ない名誉職)でしたが、戦線が不利になりだし、最期はビルマ(現ミャンマー)のインパールで戦うべく進軍していましたが、ジャングルでの生活のなかで、疫病にかかり、そこの病院で亡くなっています。しかし、遺骨・遺留品は無し。
日本のために、お疲れ様でした。

戦後の動乱、高度経済成長、バブルと、その恩恵のカケラも享受できなかったどころか、日本の子孫のために、お国のために亡くなったのに、その後の変貌ぶりを、彼等には見せられない。
今の日本人は、彼等達、それ以前の歴史の戦乱の中で亡くなっていった方々の礎の下に、今があるのですが、決してその思いを風化させてはいけないと考えます。

小川名家の大元のお墓へも。

今の我々が存在することは、ご先祖様方のお陰なので、長男に引きつづき、次男にも、今後、墓参りを忘れないように、覚えてもらっています。

福泉寺(川井本町・曹洞宗)は、立派な山門と、大きなカヤの木が鎮座します。

たまたま、親子揃って、駒大歴史学科ですが、親子して師事した学長・副学長と、ここの元住職(ご隠居)が、とても仲良しな点にも、因果を感じます。

小川名家は、元々は、今は上川井にある長源寺(真言宗)に遡れると考えます。
律令国家が動き出した頃の都筑郡の【筑】文字の瓦が、川井本町の道面(どうめん)・元十一面観音像があった場所付近から発掘されたという古文書を、かつて見た記憶があります。
ちなみに、長源寺は、今も川井宿バス停付近(道面地区)に、土地を有しております。