江の島 児玉神社の現状 ②

今回は、小川名輝明著。
時は日露戦争、日本国家存亡の危機にたくさんの英雄が世に出て、彼等と国民が心を一緒にして、何とか『勝ち≒国家存亡からの脱出』を、針の穴を通すよりも難しい勢いで、見事にそれを実現してしまった。彼らの誰一人が欠けても、この大偉業は成し遂げなかった。

その中でも、重職の内務大臣だった兒玉源太郎公は、【現場】を一番に考え、わざわざ、軍の『陸軍大将』に格下げになることを自ら申し出て、膠着状態にあった203高地を攻め落とすために、嫌な役を烈火のごとく行い、旅順を墜とし、すぐそこまで来ていたバルチック艦隊と、ロシアの旅順艦隊を合流させないために、海軍と連携を取りながら、東郷平八郎公・参謀 秋山真之公の聯合艦隊により、完膚なき勝利をおさめ、日本を守った演出者の一人となった。惜しむらくは、その後、役目を終えると天に召されるように、すぐに亡くなられた英傑。ちなみに、我々が愛した、【太陽にほえろ!】の監督 児玉進氏は兒玉源太郎氏の曾孫にあたるらしい。

前回、我が嫡男が書いた記事。兒玉神社の社殿の修復工事が資金不足のために進まない現状を書きましたが、

その息子の夢枕に、江島妙音弁財天様、兒玉源太郎氏が出てきたらしく、昨日の現場での作業中に、『オヤジ!これから江の島に行くけど、社殿修復工事のお気持ちを、小川名建設㈱としても出す?』と電話。

『それは、当たり前だろ。当社の全権をお前に任せる。いくらでも奉納して下さい』

【奉献】の包みを、丁重に奉納させてもらったところ、兒玉神社の棟札と、とても貴重で残り少ないこの冊子をいただいてきました。

あれほど賑わっている江の島の一等地にありながら、あまりその大きな存在があまり伝わっていないのか、たいそう丁寧に対応して下さったそうです。ありがたいと同時に、今の日本人が日本人でいられるのは、兒玉源太郎公のお陰だと考えている者達としては、悲しい現状を改めて感じました。つれない。

ちょっとだけ、その内部をお見せします。

これは、大好きな神田神保町へ行っても売っていないでしょう。
そして、神保町でこの書物を手にしたら、貧乏な私でも5万円の値が付いていても、必ず購入してしまう貴重な冊子。

歴史に係わる文献(特に写真・挿し絵入り)は、その時に欲しいと感じたら、何としても買わないといけない。何故なら、あとで手に入らない可能性が高いから。そして、いつでも見られるように、常に家に保管しておかなければならない。あとで後悔しないために。だから、我が家ではブックオフは購入するところではあっても、売却する店では無い。

ということで、今も兒玉神社補修工事の竣工までのお金が不足しているらしい。

元台湾総統(かつての中国本土を治めた蒋介石で有名な政体の中華民国・今現在知られる中国の正式名称は中華人民共和国・現共産党政権〈現在、ウイグル民族・我々日本人特有のDNAを有するチベット民族弾圧の件で有名/これに関しては、各自調べることを望みます。当国民の多くは分からない悲しみ〉)を長年務められ、親日家でもある李登輝さんを敬愛する【日本李登輝友の会】による児玉神社社殿修復事業へのご寄付のお願いは、日本人以上に、兒玉源太郎公への想いが伝わります(日本よりも、台湾国での方が有名かも)。いずれにしても有難い限りです。台湾国に関しては、【東日本大震災で、受けた恩を、我々日本人は未来永劫に忘れることが出来ない。いや、忘れられない。それが日本で言うところの武士道・この恩を忘れた日本人を私は日本人と認めない】また、日本に大きな影響を与えて下さった中国。その結晶が残されいるのが、台北の国立故宮博物院(日本名:故宮博物館)。日本人だけでなく、世界の中心だったかつての中国を知る意味でも、行かれることをお薦めします。愉しすぎて、一日居ても、観きれない。
   
データによれば、日本の社長が一番愛する本は、常に司馬遼太郎作の【坂の上の雲】。

それなら、話が早いではないか。日本の社長さん方、どうぞ、心からのお気持ちを奉納されて下さい。経営的にいうと、『領収書も後からお送りします』と、言われたそうです。

さらに、武蔵国(埼玉県・東京都・神奈川県北東地区)で、名を馳せた武蔵七党児玉党からの輩出で、1221年の承久の乱で功を上げ、安芸国(現広島県)の豊田郡竹仁村の地頭職に任じられ、その後、長州毛利家と安芸国に転じ、譜代重臣となったらしい。つまり、東京都・埼玉県・神奈川県の人々からすると、少し前(約400年前)までは、同郷の血筋と考えて間違いないでしょう。鎌倉時代に、武蔵・相模の有力武士は、日本各地に土地をいただき、そのまま根付いた方がとても多い。

いざ逝かん、江の島児玉神社へ。