沖縄県も神奈川県も、地政学上、恩恵と弊害が同居

10月1日の日本経済新聞の記事。

長らく頑張られた翁長沖縄県知事が亡くなられたあとの、県知事選挙。

その意志を継がれたデニー玉城さんが、新たな沖縄県知事に。

アメリカ軍飛行場(普天間から辺野古へ)の移設が争点の一つらしい。

普天間基地は、住宅街かすめるように飛び降りする危険な飛行場。

神奈川県では大きな問題にはならないが、我が神奈川県も、沖縄県同様に、大和市・綾瀬市の上空を爆音で離着陸する【厚木飛行場】があります。我が家の上も転回してからの飛行通路のようで、よく下から見上げることができます。(アメリカ軍も航空自衛隊も)

そして、座間キャンプが、極東総司令本部に格上げされ、海では、有名な横須賀基地。米軍も海上自衛隊も。

横浜にも返還された上瀬谷通信隊と、深谷通信隊。東京湾では瑞穂埠頭。相模原も。

瀬谷の海軍道路一帯は、かつては引き込み線もあった大きな軍需工場地帯。小田急線沿いの相武台一帯も米軍以前は、大日本帝国の主要基地。
青葉区のこどもの国も、かつては軍薬庫。
横浜の中心地 関内周辺も、米軍の接収地でした。そのため、復興が遅れ、私が小さい頃は、貧相な土地に感じました。

沖縄県人の苦しみは解りかねます。(その時代、その場所に居合わせていないので)
本土決戦が行われずして、沖縄で、民間人を多く含む血が多く流れた激戦地区。

神奈川も、大日本帝国の基地が密集していたので、多くの襲撃を受けた。
当然、横浜の中心部もB29による大空襲で、焼け野原。

沖縄県は、地政学上、日本を攻め落とそうとしたならば、ここの制空権・制海権を握ってしまえば、本丸を落とすための大事な足がかりの土地になる。
江戸時代には、薩摩藩により、琉球国の一部が攻め落とされ、薩摩藩の一部に。

神奈川県は、江戸時代末期に江戸湾に黒船が来て、先ずは横須賀の浦賀。そして、横浜。
江戸、東京ではないのは、せめてもの江戸幕府の抵抗。
逆を返せば、開港を許しても、江戸はダメ。少々離れた片田舎の寒村 横浜で。そして、フォーリナーの居留地に。

それぞれの県は、意味は違えども、地政学上、日本国・外国にとっては極めて重要な場所。
海洋国家としては、琉球(沖縄県)は、アジア・ヨーロッパと交易する際に、極めて重要な場所にある。
神奈川県も、首都東京を守るための緩衝地帯としてはうってつけ。

一方で、琉球国はかつて、貿易で大いに栄えた。さらに、戦後政府の沖縄への扱いは格別で、今も経済復興という名目で支払われ続けている。本土の民の税金から。
神奈川県も、神奈川都民と揶揄されるほど、確かに【東京】があっての今の経済状況がある。

どちらの県も、弊害や危険を常に内包しつつも、【恩恵】を受けていることだけは確かです。

今は、尖閣諸島をはじめとした脅威により、沖縄県は地理的に、極めて重要な土地となっています。
神奈川県は、少しノホホ~ンとしていますが、関東大震災の震源地だった事実と、有事の際は、やはり基地が狙われるでしょうから、東京と一蓮托生の状態。

ビートルズではありませんが、back in the okinawa と、シャウトしなければならない時が来ないことを祈ります。
兒玉源太郎公の治世経験によるのか、【台湾国】が、『我々多くの日本人は、東日本大震災で彼らの行動に感激し、恩を返したい』極めて‟親日国”なのが、我々にとって極めて嬉しい事実であり、親友であると同時に、そのあいだに挟まれた、日本国沖縄県に一抹の心配を感じます。私は日米同盟を尊重します。
念のために・・・【歴史は繰り返されます】
そうならないように、心しておいた方が良いかと思います。どこが明日の敵になるかはokinawa次第。結果はどうであれ、最後は自己責任。神奈川県民もね。