輝竜、西国の天国へ行くべ

我々、東国(関東地方)の歴史好きからすると、西日本地域は、歴史的建造物・歴史的文献が良好な状態で多く現存する、夢のような地域。
『輝竜、西に行くか?強行軍で』
【ああ、行く!】

おお、松尾芭蕉じゃん。

【忍者】で有名な、伊賀上野市は、『奥の細道』で、その後の、日本人の心の一部を創り出された松尾芭蕉の生誕地でもあります。

世界的に有名なNinjaの土地、伊賀(甲賀も)出身ということもあり、松尾芭蕉は、5・7・5と極めて短く、様々な事を圧縮して表すことが可能な、俳句界の神的存在であると同時に、徳川幕府から、各地の情勢を探ってくるという隠密(おんみつ・スパイ・忍者みたいなもの)的役割を、同時に果たしていたとの説がありますが、まんざらでも無いように思います。

1942年に伊賀上野城内に、芭蕉生誕300周年を記念して建築されたとされる【俳聖殿】。

一風変わった形状の、この建物は、松尾芭蕉の旅姿を模したものらしい。
2階屋根の形状が、何とも微笑ましいが、蓑笠をイメージしているらしい。

何故か懐かしく、長い時間、ここに佇みました。

これが実際の【芭蕉の旅笠】


伊賀 愛染院

シブい

【家はみな 杖にしら髪の 墓参り】芭蕉

俳句、すごい。

この石碑の裏の土壁。

我等【横浜】には、このような佇まいの建物は、あまり見かけない。

【洗練】という言葉が、似合う。

おい、向こうで、何か走ってるぞ。

【忍者列車】だよ。松本零士デザインだよ。

伊賀線か?

『オヤジ、よく分かったじゃん』

知ってるけど、西の大私鉄、確か近畿日本鉄道だよね。
いや、赤字経営により、伊賀鉄道に。伊賀市と近鉄が株式を持っている。

でも、あれ元東急電鉄の車両だよね。地方のローカル私鉄、車両に関しては、東急がやたら多くなったな。

『こちら、芭蕉翁記念館だよ』

鉄筋コンクリート造で、イメージとは違うけど、無駄を削ぎ落としたデザイン。

ここで、『子規記念博物館』のポスター。

このポスター、欲しいね。


オヤジも。

まあ、後で行くべ。




確か、奈良県から大阪府へ抜ける途中、大きな幹線道路の脇にひっそりと佇まれていた神社。呼ばれるように立ち寄ってみた。

切妻面のトップに、法隆寺と同様に、梁の上部の小屋束を支えるかのうよに、両側から扠首(さす)と呼ばれる材料が見られる、建築様式。

この【扠首・さす】がある、二等辺三角形のような建築は、あまり見かけない。
さらに、この手の建築物は、屋根や上層部構造体の重量があるにも係わらず、不思議と、柱の比率を極限まで細くして、筋交いもなく、極めてアンバランスな形状に見受けられる。しかし、逆に言えば、免震工法なのかもしれない。
近頃はスーパーコンピューターで解析できるようになってきていますが、私自身が、建築学科を出ていないので、実際のところは分かりませんが、構造的には、西洋の近代建築を中心に学生は学び、古代の木造の日本建築に関しては、計算式で表しにくく、詳しく教えられる教授があまり居ないと、聞いたことがあります。

最近の建築家が、重力に反するようなデザインを好むかのように、設計されている方が多い(雑誌:新建築などはその宝庫に見える)ですが、既に飛鳥時代、奈良時代から、このような設計・施工をされている。日本では。

地震大国なのに、敢えて、それにも耐えるぞ 的に。見かけとは裏腹に実際も強いのかも。
私は、【設計者】という自覚が不足しているために、簡素でありつつも、安全性の高い設計を好む方向性にある中で、この建築には、『何か、強烈な意味がある』と、畏れおののきつつ、勝手なことを考えています。

鳥居には、【天神宮】と。

菅原道真公を祀られています。

確か、少彦名命(すくなひこななのみこと・大国主尊のパートナー)も。

私は、ヒルコ ≒ 蛭子 ≒ 少彦名命(少名毘古那) ≒ ニギハヤヒ(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)≒ 子孫が事代主神 ≒ 子孫が武内宿禰 ≒ 恵比寿(ゑびす)≒ 神武天皇東征に力を発揮した珍彦(うづひこ)≒ 八咫烏だと、睨んでおり、

さらに、その魂の繋がりとしては、中国古代神話(黄河・長江文明以前)の【神農・はじめて神の名が付いた皇帝】、一寸法師・桃太郎・竹取物語のかぐや姫(この物語では女性だが)・黄泉の国繋がりで、伊弉諾尊(いざなぎ)・兵庫県豊岡出身の田道間守(たじまもり・お菓子の神様)・時空を超える点で浦島太郎・権力闘争で負け、太宰府近くへ左遷され死して、天神様と仰がれた菅原道真も同系と考えています。

少彦名命は、現代の歴史からほぼ抹消されていますが、かつて、大国主尊と共に動き、日本の広範
囲を築き上げたパートナーだったと思われます。
この神様の性質は、日本の神々の中でも多面性を有しており、ウィキペディアによれば、
国造りの協力者・常世の神、医療・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神と、歴代の日本の神様の中でも、極めて多様な性質を兼ね備えた神様として、知られています。

様々な歴史が、重複的に錯綜して、この神様が、このような多様性を持ったものと思われますが、これだけの多様な性質を持ち、さらに、様々な偉人・神様として神出鬼没な点は、
少彦名命が、悪戯っ子(いたずらっ子)だったと言われることから、それまでの常識を打ち壊しながら、新たな指針を示し、改革・革新の実行者だった為に、当時としては、ごく当たり前の保守的な人々からは、オカシな人と映り、なかなか理解されにくい人(神様)だったのだと思います。

少し前までは、宮内庁において、大国主尊と共に、祀られていたという噂においても、皇紀2600年以前?には、日本を大国主が治めていて、【国譲り神話】で語られるように、速やかに権限を平和裏に委譲した歴史があるのではないだろうか。

新たなもの、自分よりも素晴らしいというものに対して、日本(倭国)は、柔軟に受け入れていたものと推測します。その伝統は、現代でも変わらない。無用な戦いを減らすという意味では大切なこと。
さらに、日本の凄さは、新政権は、それらを時には【神】として讃え、【祟り・たたり】を畏れ、ねんごろに融合している点にあると考えます。
日本史以外の世界史においては、蹂躙して勝利を得たものが、一族郎党だけでなく、14親等まで皆殺しという事実があり、DNAの塩基配列からも、征服された側の男子遺伝子(Y遺伝子)は、ほぼ駆逐されているようだ。

その点、極めて先進的だった縄文時代・倭国・日本を通じて、他の種族を消し去るどころか、友好的に交わって現代に至る点は、現在の遺伝学から紐解く歴史で証明済み。
日本人は、滅亡したとされるネアンデルタール人の血をも引いているらしい点からも、平和的に、融合してきたようです。

中国の【越】の国が滅ぶ頃に、彼等の三角縁神獣鏡という鏡とともに、日本に来た足跡が。
『越』の漢字が付く、日本の古い国名で、なんとなく分かると思う。

同じく、ユダヤの失われた10支族が、ここ日本に『約束の地』がごとく、集まってきている点も、感慨深い。約6000年前に突如として表れたシュメール(スメル)文明との共通点・突如として姿を消した点から、日本にシュメール人が渡来したという説(これは有力な説だと考えます)、さらには、1万6000年前からとも言われる、日本の縄文文明から、古代日本人の一部がメソポタミアの地に移住したのがシュメール人とも。ユダヤがシュメールの影響を受けていたことも大いに考えられ、お互いに因果関係が交錯しているように思える。

日本の歴史、世界史、仏教、そして密教を習得された弘法大師が、それらの深さを理解した上で、四国(しこく)を、お遍路さんの地として、結界を張り、来たるべき時まで荒らされないようにしていたように思える。スーパーマン的弘法大師が、秘密なる教えを知っていても不思議ではない。
都市伝説とされながらも、四国・徳島県の剣山は興味深い。
ユダヤの方々が、この地に多く来られるのも、もっともだと考えます。
一緒に協力して、探求できると、面白いのに。
習ってきた世界史が、ガラリと姿を変える時に、間に合うだろうか?
【人間は何処から来て、何処へ行くのか】の言葉は、やはり重たくも楽しい課題です。

つづく・・・