小川名建設株式会社は、建築・建設業界で23年間経験を積んだ小川名輝明が、2017年7月に【世のため】を実行すべく、新たに立ち上げた会社です。
何よりもお客様の身になり、職人さん・社員を大切にし、 地元(横浜市旭区・保土ケ谷区 周辺)に恩を返し、自然に感謝する。-こうした想いを育み、つなぎ、 『家を通して世のため』を社是とし、まずは建築・土木・建設を通じ、小さなことからコツコツと、新たなことにも果敢に挑戦していきたいと思います。末永くよろしくお願い申し上げます。
青森県は五所川原の出身。
中学時代は、吹奏楽部でホルンを吹いていたが、卒業後、縁あって大工の道に。
以来、大工一筋まもなく50年。
一般の木造新築住宅にも携わってきたが、ハウスメーカーでの仕事経験が長く、木造・鉄骨・軽量鉄骨・RC造など、幅広く大工仕事に通じている。
新築はもちろん、修繕・リフォームも得意で、さらにかんたんな電気工事・水道工事・トイレ交換・コンクリート打設など、なんでもできる多能工。
とくにリフォームは、新築の収まりを理解していないと難しいが、それだけに現場を見てプランをつくるのが楽しくやりがいがあるとか。
とにかく、安心・安全・信用。これがモットーで、職人のマナーだと言い切る。
「お客様の笑顔と信用がいただければ、それが何よりも次の仕事の活力です。」
一見コワモテだが、実は、素直で真面目で正義感が強い。おとなしそうに見えて、実はよくしゃべります。
小さいときは生意気だったが、泣き虫でもあったとか。学生時代に打ち込んだスポーツは、意外?にも卓球。
父親ゆずりで身長は182cmあるが、足のサイズは、なんと29cm。合う靴がなくて、困ることも。
「目標は、今できることを、とにかくやりきること。頑張ります。」
1970年3月、横浜市旭区都岡町生まれ、ずっと横浜市旭区育ち。
幼少期は、好奇心旺盛でありながら、悔しくて泣き、『泣き虫 お輝さん』と呼ばれ、鼻を垂らしながら、周囲の野山で遊び、近所の方々に叱っていただき、無口ながら苦労人の亡き父の背中を見て、育ちました。
その頃は、『テルガン』のあだ名をいただく。高校時代は、『バカ三羽ガラス』。他に『恐竜・怪獣・岩・オナ』など、ニックネームを沢山付けていただきました。近年は『ゴジラ』。
横浜市立都岡小学校・都岡中学校・神奈川県立希望ヶ丘高校・駒澤大学文学部歴史学科卒業
(学齢期に、約20以上のアルバイト経験が、今の自分を作ってくれました)。
レーサーになりたかったほどの車好きから、メカニック系の会社に就職を目指すも、文系は営業しか採用せず断念。ものづくり志向は捨てきれず地元建設会社に就職。その後いくつかの他の建設会社・ハウスメーカーも経験。挫折しては修行を何度も。途中2年ほど軽運送業を自営するも(案外と楽しかったですよ)、建設業界23年目にして2017年7月、小川名建設株式会社を設立。
(『植木』が好きで、造園屋さんも受けましたが、体重が重くて、木製梯子・足場を壊すからという理由で断られた)
身 長 | 189cm 「でかい!」とよく言われますが、態度はでかくなく、腰は低いです。 |
体 重 | 85kg 「でかい」とはいえ、ちょっと重いかも。気をつけます。たまに、0.1t。 |
血液型 | O型 「向上心が高く他人のために労をいとわないタイプ」とか。でもかなり繊細。 |
星 座 | 牡羊座「実行力がありリスクを恐れず挑戦するタイプ」とか。でも夢見心地な面も。 |
あだ名 | ゴジラ 大きくパワフルなところ。顔も似ているから。 |
仕 事 | 仕事ほど人生の喜怒哀楽にあふれ、さまざまなことが学べ、楽しいものはない。 |
自動車 | 1960~70年代の車を整備し、峠で鞭打つこと。社会人になってからはご無沙汰。 |
歴史妄想 | 郷土史には少々うるさい。時には勝手な「仮説」を立て、妄想にふけることも。 |
家庭菜園 | 猫の額ほどの庭で自然農法。小さな動植物・昆虫・鳥さんも見ていて飽きない。 |
野球観戦 | 家族で正座してテレビ観戦(笑)。生きている間にベイスターズの優勝をみたい。 |
【繊細かつ大胆に】の言葉が好きで、『出来ない論理』は、あくまでも『出来ない言い訳』として聞きつつも、それをシンプルに、『出来る方法』を検討し、【世の為】に当てはまっているかを考える思考回路になっています。
『世のため 人のため』ではない。『人間の為の世の中』という考え方ではなく、かつての日本人がそうだったように、八百万・すべてのものが、我々人間と同様に大切と考えています。
【いい加減】ではなく、【良い加減】が大事と考えます。現代社会は、少々せせこましい。
【歴史】から学ぶことは多いが、それを過去の事実として固定化する作業はその道の方に任せ、
私は、そこから未来はどうなっていくのか、どうすれば良い方向へ改革できるのかを考えるのが、【歴史】から教えていただく醍醐味と考えます。
夫を取り締まる、女房かつ女房役。面倒味の良さは天下一品。
お客様への分かりやすい説明・優しさからくる気遣いも。
夫がアクセルなら、妻はブレーキ役。時として母親の顔も。
子どもの世話は手慣れたものだが、年長者にも可愛がられる。
〔横浜市立今宿小学校で学童保育の補助指導員を10年。
祖父母・義父の介護、現在は、義母の介護中。〕
パートナーとして、情報共有度の高さは他に例を見ない。
夫と同じく、旭区生まれ、旭区育ちで、地元大好き人間。
理容師だけでなく、管理理容師の資格も有し、
住まいもキレイに整えるのは、相通ずるとか。
将来、内勤だけのお局にならないようにと、
旦那の先々を考えたスパルタにより、
40歳超にして足場や屋根に登ることは日常茶飯事。
そのためか、暑さ寒さの中、働かれている建設の職方さんの
気持ちが分かり、彼らと労苦を共にしています。
職人さんの作業が終わると、銀行へ行き、即入金してます。
建設会社は、【信用・信頼】が命なので。
母に習い理容師となるも、父に習い建設業に挑戦し、早速お客様を獲得。性格も、両親の良いところ悪いところを色濃く引き継いでいるとか。
元気で丈夫なことも親ゆずり。小中学校以来ほとんど無遅刻無欠席の皆勤賞でした。背が高いのは父ゆずり。170cmあります。
一番の売りは忍耐強さ。小学4年生のとき、腕を骨折するもさほど痛がらず、まさか折れているとは親も本人も思わなかったとのエピソードが。
中学時代は美術部で、いまでも趣味はイラストを描くこと。
高校時代は、回転寿司の厨房でひたすら揚げ物修行。
その後、Y校別科で理容師の修行。県の理容競技大会クラカシルバックバリエーション部門で4位入賞したことも。その間、コンビニで2年間バイト。自然と笑顔が身につきました。
当時のあだ名は「うーたん」ですが、「うた」「うたちゃん」と呼んでやってください。軽トラの運転頑張ってます。
余裕があるときは、ジジの理容しばざきを手伝ってます。
やはり、横浜市旭区生まれ、旭区育ちで、地元大好き人間です。
1972年4月、長野県上田市生まれ。職人で昭和の頑固親父そのものの父に引っ叩かれながら育ったお陰で、純度の高い筋金入りの頑固者と言われるようになる。ただし、本人の自覚は皆無。
小学生の頃は山や川が遊び場で、捕獲できるものは何でも捕まえ、猫のように家に持ちかえる癖があり両親を大変困らせていた。ある日マムシを捕まえてきてこっぴどく叱られ、その記憶が鮮明に脳裏に焼き付いている。
中学では野球部。そして高校ではスキー部に属し、体育会系のノリと人間関係を学ぶ。
小中高と過ごした信州の長閑な環境の影響か『造園』に強く惹かれるも、それならばいっそのこと建物からという発想で、建築の道に進むことを決意。東京の建築専門学校を経て横浜市旭区の建設会社に入社。総合建設業で現場監督と設計を経験し一級建築士を取得。
その後、伝統工法の木造住宅というものの奥深さを学びたいと思い、2006年地元に戻り、本物の自然素材の家づくりに特化した木造住宅の工務店で主に設計者として専門知識を学ぶ。2018年、縁あって小川名建設株式会社に入社。2019年、顧問に就任。
現在、母親の介護のため、上田市へ。
地方移住・建設(住宅・庭)のアドバイザー『なからいふデザイナー』として、始動し始めています。
何か分からないことがあると、すぐに答えてくれる優しい人です。