緑区の寺社を訪ねて② (筆 長男)


①からのつづき
(今回も、長男・小川名輝竜が、
 文章・写真とも担当しています)

さらに西へ進むと、「保壽院・ほじゅいん」という小さな看板があり、無意識にハンドルをきって境内に入っていました。

曹洞宗・保壽院は、秩父の清和源氏(清和天皇を先祖に持つ源氏)である荒川氏が、三河国(愛知県)で戦国時代に松平(徳川)氏の家臣となってこの緑区小山町(こやまちょう)あたりを治め、寺院を建立したのがはじまりだそうです。

さて、境内に入ると本堂の扉が開いていて、ご住職と保壽院のことや小山町の歴史についてなど様々なお話をさせていただきました。本当に無意識のうちに入ったので、「ご縁」というものを肌で感じることができました。

保存状態の良い石仏や十三重塔、立派なしだれ梅があり、禅宗寺院らしいシンプルで凛とした空気の境内でした。

続いて、私(長男・輝竜)が今までお参りしたことがなかった武蔵国六の宮と推定されている西八朔町の杉山神社へ。父は、「建築の神様だよ」と、ありがたがって手を合わせていました。

祭神は、五十猛命(いそたけるのみこと)・大日孁命(おおひるめのみこと)・素戔嗚命(すさのおのみこと)・大田命(おおたのみこと)です。

ちなみに、五十猛命は素戔嗚命の子で、出雲を拠点としていました。

杉山神社は鶴見川や帷子川、多摩川流域を中心に存在し、五十猛命や日本武尊(やまとたけるのみこと)を主な祭神とする謎の多い神社です。

神社名の由来としては、樹木の神である五十猛命にちなむとする説、出雲民族がこの地に住みついいた時に五十猛命や素戔嗚命を祭神として神社を建立したとする説など様々な説があります。

なお、帷子川流域である我が旭区には、現在杉山神社は一社もないので、謎は深まるばかりです。

拝殿でお参りした後、ふと振り向くと富士山や丹沢山系を遠くに眺めることができました(写真はかなりズームしています)。

オヤジ(父)は、あれが大山で、あの尖った山が、神奈川県最高峰の蛭ヶ岳(ひるがたけ)で、「あそこは、我々小川名一族にとって非常に意味のある山に違いない」と、いつもの戯れ言を聞かされながら・・・。

 

 

最後に、杉山神社のすぐお隣にある真言宗豊山派・極楽寺へ。

極楽寺の創建年代などの詳しいことは不明ですが、天文二年(1533)に亡くなった元海という僧によって中興(一度衰えたものを復興させること)されたそうです。

また、寺紋は徳川家の家紋「葵の御紋」として有名な丸に三つ葉葵です。これは、延享三年(1746)に徳川家の家紋の使用を許されたことにはじまるといいます。

薄暗い夕暮れの中でのお参りでしたが、境内にあるライト足元を優しく照らしていて、どこか京都の寺院庭園にいるかのような感覚になりました。

写真は少しブレてしまいましたが、とても趣のある庭園も見学することができます。梅雨や初夏には、青々とした苔や青葉が映えるのでしょうか。ぜひまたお参りしたいです。

この後、すっかり暗くなったので、帰路につきました。

私の趣味に、長々とお付き合いいただきまして、誠に有難うございました。

【文章・写真】長男・小川名輝竜