【気丈だった母】から、教わったこと

私は、無駄口をたたかず、戦争で祖父を亡くし苦労した父の下に育ち、同じく貧乏百姓(横浜市旭区はちょっと前までは、そのような田舎だった)の下に、生まれ育った母の厳しい教育のなかで育ちました。

あの気丈だった母は、父(夫)亡きあと、アルツハイマーでも特殊な【ピック病】と、聖マリアンナ医科大学病院(横浜市西部病院)にて、診断され、
その後は、地元の【老健施設】にお世話になっております。

ピック病は、ある物事に対して、異常なほど執着心を抱くため、長男の私でも、母の実質的世話をしている、妻の許可が無ければ会えない状態。(非常に寂しい)

私と同じ世代(昭和45年生まれ)の人間は、同じような経験をされている年頃でしょうが、私どもも、我が母としても、ありがたいことに、とある施設の御配慮のもと、何とか居させてもらっています。

もともと、母は、二俣川のさちが丘(半ヶ谷)でも、変わり者の父(私と長男が尊敬する爺さん)のもとに育ち、母親を肺病で、早くに亡くし、苦労したそうです。

爺さんは、畑をしながら、どこで目覚めたのか、重忠公が旭区の歴史で取り沙汰される以前から、【畠山重忠公遺烈碑】を創建するために、お坊さんとなり、托鉢してまわり、そのお金で、万騎が原団地(本当は富士見商店街の場所に作りたかったらしい)の自治会館脇に、遺烈碑を創建された人物です。

私達と同じく(私は爺さんを意識した訳ではない遺伝子の賜物)、歴史好きですが、爺さんは筋金入りで、貧しいにも係わらず、『寺子屋』を開き、大好きな歴史を中心に教えていたらしい。
彼ならではの神道にも興味があったようで、坊さんと同時に、神主もやっている。
今では、あり得ないでしょ!

我が実家の【地鎮祭】の写真でも、神主姿で、刀で災いを斬り払う【神事】を行っている写真も残る。

体調を崩してからは、お店に行っても、ビールを煮させて、アルコールを飛ばしてもらってまでも、エビスビール好きだったことは、語り継がれています。80歳で老衰で亡くなるまで、好き勝手に生きた爺様です。


そのような環境下で育った母は、それにあらがうように、それはそれで自由気ままに生きてきましたが、

我が母の偉いと思うところがあります。

極端なほど綺麗好き ➡ これに逆らうように、私は逆に育ちました。

さらに、私が小学生の頃に、馬鹿にされて、その反動か、【弱い者いじめ】に精を出していたころ、校長室によく呼ばれて、先生におもいっきり殴られたりしていましたが、菓子折りを持った母に連れられて、色々な家に、一緒に謝りに行ったことを覚えています。
 今考えると、どうも、どうしようもなかった【クソガキ】だったとしか思えない。

その都度、母が真剣に、そして本気で私を叱っていました。
その頃に、母に何度も言われた言葉を忘れません。

【弱い者いじめは、誰でも出来る。やれるものなら、強い者いじめをしろ!】と。


最初はよく理解できなかったお馬鹿さんでしたが、何となく母親の語り草の意味が分かってきました。
何故なら、その母は、内職の総元をしており、手を動かす人間には優しく教えている一方で、その仕事を回して下さる社長と、前向きな意見交換を、よくしていました。
傍から見ていて、母の方が正しいかなと思えるケースがよくありましたが、社長も負けていません。
しかし、最後は、社長が折れている姿をよく見ていました。
その後は、何事もなかったかのように、敬語を使いながら仲良く仕事の話をしていました。
 
そう簡単には巻かれない母を、密かに偉いと思っていました。同時にその社長さんも尊敬していました。女だてらにという時代に。
 
いつしか、私もその血を引き継ぎ、環境の影響か、立場上、‟上”と思われる人間にも、納得いかないもの・このままでは会社として心配な事には、かなり意見したり、提案していました。


母親直伝の必殺戦法ゆえに、自分自身が斬られる前提で、相撃ちになってまでも、これまでよく戦ってきました。
強い方々ばかりと。

そうした勢いにさらされる上司は可哀想です。
サラリーマン時代、会社の将来を思うが故の【私の言い分】に、相当へこんでいました。
辞表をここで書け!そうでなければ、ここから出さない。

とか、ありました(笑)。
(既に過去の良い思い出。私が行なってきた事により、意見が言いやすい体質に変わるといいですね。建設業の世界は良くも悪くも古い体質。上下関係は非常に厳格。それを護ることに注力するのも理解できますが・・・)

権力を持った強い者には滅法強く、同時に、会社のために骨を埋める覚悟、やられる覚悟(辞表は常に机に入れてあった)をいつも持っていたので、生半可な自己保全の上司はたまったものでは無かったはず。

今では、小さいながら自分がその立場(経営者)。
社員だけでなく、業者さん方の、様々な意見を汲み取って、苦言にこそ、ヒントがあると思い、首を垂らしながらの気持ちで、活動している毎日です。時には厳しい鬼の顔を持ちながら。

母上、ありがとう。
【病気が進行して、あなた達のことを、忘れてしまうのが怖くて怖くて】
気持ちは、なんとなく分かるよ。
でも大丈夫、あっちで大好きなオヤジが待っている。

あなたの意志は、私が継いでいますから。