玄関は家の顔、無垢材使った ⇒ 結果、安くご提供

【無添加無垢材】を、玄関ポーチ天井に使ってみました。

なかなかのデキに、私も嬉しい。

これが、元の状態。
かつて、爆発的に流行った、プリント合板、ピーリングと呼ばれるものでしたが、言ってしまえば所詮は、偽物の建材。
さらに、一束単位(6枚以上)で売られているので、おそらく今後も使う機会が少ないだろう『残り分』を倉庫に置いておいても、結果捨てる時が来るのが常。捨てたくないし、金額的にも高くつく。

今は白っぽい色で、それはそれで良い感じ。

時間の経過と同時に、味わいを楽しめるので、今後が楽しみです。

無垢材は生きているゆえに、多少のあばれ(反り・ねじれ)がありますが、そういうことを気にする方には、お薦めはしません。
《端部がはじけると、カッチョ悪いので、同じ無垢材を割いて、押縁として、押さえ込んで、意匠(デザイン)にしています。


ここからは、余談:

【木】は、生きた状態で使いたいものです。車でいえば、納品時に、斜めから見て、『ここ、少し汚れてない?』とか、言われる方には、無理して売る気はまるでありません。
40年、50年物の車を愛して、『この車、夏場、渋滞にはまるとオーバーヒートしそうで怖いんだよね。でも、それも含めて可愛いよな』的な、緩い考え方(逆に言えば、ガチガチな理論づくめの方)を愉しめる人格的な【ゆとり・余裕】が、ある方にだけ愉しめる最高の特権だと考えています。

【八百万の神々】を信じて、日本人は古くから生活してきた。
そして、その子孫の我々は、そのDNAを確実に持っている。
家も、家に使われている材料、車も、コップも、ダンゴムシも、カマキリも、鳥さんも、植物も、皆それぞれに、神々が宿っている。あなたにも。私にも。これを理解できないと、本当の意味で、ご先祖様が培ってきた、本質的な真の喜びを享受できないでしょう。

近頃、虫が少し室内に入ってきただけで、女性のみならず、男性ですら、執拗に殺虫剤で、殺傷する姿を見ては、この人は、歪んだ社会の申し子か、可哀想にと・・・。それぞれに宇宙の一部であり、その仲間を・・・。先々、宇宙・神々に救いの手を差し伸べてもらうことは、決して無いだろうなと考えます。いくら、神頼みをしようとも。ましてや、困った時だけ、神頼みをする人を悲しく思い、それが過ぎたら、神頼みを忘れる人とは、心からの話は難しいなと思う変わり者。

私は、自然宗教的に発生した原始宗教(アニミズム)的思考を、大事に思っているので(同時にそれぞれの宗教も受容しつつ)、肩ひじを張らずに、ちょっとしたことに幸せを感じ、花鳥風月を愉しみ、自然をおそれ多い偉大な存在と捉え、自然な自分の声を聞き、それに正直に生きているので、世界(現世)に良いことは、率先していきつつ、ワガママだと言われても、本能的に拒否反応を示すもの・人とはあまり付き合わない。そんな時間があったら、もっと理解し合いたい方々と、話をしたいから。
自分さえ良ければ、金が稼げれば・・・だけなら、もうじき、時代遅れの考え方になってしまうでしょう。