土肥実平公が、いなかったら

湯河原駅前の銅像。
土肥実平公(平安末期~鎌倉時代初期)

4年前の湯河原駅。

『伊豆山温泉に行くべ!』と、急に出発し、途中の湯河原へも(明け方)。

土肥氏館址は、北西へ向かってすぐ。

そこには、感極まって書かれた感のある、【乾坤一擲】の石碑。

土肥実平公が、源頼朝挙兵にあたって一族あげて、味方し出陣した。

物凄く冷静な先読みがあったのか、平家の世を憂えていたのか、本当の武士の世を目指していたのか、損得無しに動いたのか、実際には良く分かりませんが、よくも平家全盛時代に・・・すごい。
(祇園精舎の鐘の声・・・盛者必衰の・・)
 
この方がいなければ、態勢を整え直すために、安房には逃げられなかった。つまり、東国(鎌倉)を中心とした武士の世は出来なかった。
世界的に武力社会への変換期で、チンギス・ハーンが大帝国を作ったのもこの時代(地球が温暖化して、寒かった土地も力を付けてきた時代)。
その後の元(現中国)が、蒙古襲来してきた際に、神風にも助けられたが、それへ立ち向かう武士団が組織されていなかったら、日本も元の一部地域だったかも知れない。

史蹟【明神の楠】

これを、湯河原町の方々は、小さい頃から聞かされて、湯河原町は、温泉だけではないぞ!という想いの方々が居るんでしょうね。

この楠自体が御神木のようで、大切に祀られていました。上空の空へ続く穴が、天と繋がっているようでいいでね。

流れの美しい不動滝。

下流の温泉街を見やれば、桜景色。

『出世不動尊』の のぼり

伊豆山へ向かう山道から、湯河原の街と、古代からの天然林の残る真鶴半島。

クルマを停めて、少し歩くと、気分は修験者。

ここは万葉の時代から、砂鉄が採れ、相模湾の魚介類に恵まれ、守りやすい地形。そして、温泉があり、繁栄した土地だったんでしょうね。

乾坤一擲