たまには、本来の横浜へ

【たまには、本来の横浜へ】とは、私が生息する旭区は横浜市ながら、ついこの前に横浜市に吸収合併された土地で、元来はかつての横浜の寒村よりも栄えていた、武蔵国都筑郡都岡村の一族であることを誇りに思っており、現在も交通の要衝であるのは、旭区・保土ケ谷区一帯であることに違いは無いので、横浜繁華街といえば、『出掛ける』イメージが強い。彼の地は、江戸末期に開港されて一気に栄えただけで、人と人とを結ぶ観点では、元来、あそこへ行かなくても何もこまらない土地だったことは確かです(かつては海の中だし)。
古東海道は、旭区を縦断する中原街道だし、かつての水運の拠点は、実は保土ケ谷区の和田町から天王町辺りですから。(海上交通と、陸上交通の合流地点が、世界四大文明よりも古いだろう縄文時代から永続的に続いてきた土地としての価値が高い)
そうは言っても、横浜の中心部は魅力が満載の土地。

横浜のQUEEN(クイーン)と呼ばれる、現在、開港記念館となっている元税関。

少し前に、山下公園前にあった開港記念館を再建された設計者の娘様は、私のお客様です。

大阪天王寺区出身の高級「生」食パンの、【乃が美】は、行っても、売り切れが多いが、14時半の焼き上がりの予約をして、その間ぶらぶらと。

 

 

中華街へ。
ここは、媽祖廟。門の前で一礼。
(帰ってきて、笑ったのは、非番の長男がこの媽祖廟へ伺ったらしい。4月27日(土)が、今の暦に直すと媽祖様の誕生日らしく、そこにいらっしゃる元気ある女性が、私もくれぐれも来るように言付けをいただいたらしい。よく覚えて下さってるな)

つまり、何も示し合わせなかったのに、同じ時間に長男と、かなり接近していたらしい。

そんな事とは、つゆ知らず、紹興酒・青島ビール(チンタオ)と、八角、クコの実等を購入しながら、観光客が多く賑わっている中華街を愉しんでいました。

そして、焼き立ての【乃が美】のパンを購入し、帰宅。

少し、かじってみたけれど、もちもちしているけど、美味しいのかどうだか、良く分からない。
ところが、冷めた状態で、またかじったところ、『美味しい』。
飽きない味で、気を付けないと、ご近所へ渡す分も食べてしまいそうな勢いであることは、確かです。


そうして、本来の横浜から、緑の多い地元旭区へ戻ってきて、気が付けばうたた寝しているのでした。