【鬼滅の刃 無限列車編】に、心を燃やされ

新型コロナウイルスに、感染する訳にはいかない立場なので、【鬼滅の刃 無限列車編】が、大ブームの時は、あえて控えて、
上映から、2ヶ月経過して、混雑なく見られる今になって、ららぽーとの【TOHO SINEMAS】へ。

アニメは見てきましたが、この映画に対する先入観を避けたいので、一切の情報を避けてきました。

入口のポスターには、【煉獄杏寿郎】の姿が。

観た結果が、このCD他を購入することに。

まだ観ていない方のために、内容は書きませんが、煉獄さんの生き方に、感動という言葉では言い表せない心の衝動を覚え、彼の戦いシーンの後半には、涙が溢れて止まらない。今も。

ポスターのタイトルに、【心を燃やせ】とありますが、まさしく、その通り。


大好きな【銀河鉄道999】では、人間 VS 永遠の命を約束された機械化人間。
【鬼滅の刃】では、人間 VS 死ぬことのない人食い鬼。
構成的に、何か似ている。

【強い人間ゆえに、弱きものを護る】という使命感を、全うしきる煉獄さん

世界的にも通用する価値観。
特に、この日本において、近頃忘れ去られがちな、【武士道】【自己犠牲を伴ってまでの、弱き者への愛情】
まだ、古き良き日本の魂を持ち合わせる人々のいた、大正時代に設定されている点も絶妙。


このアニメは、とにかく凄い。
煉獄さんが、あたかも実在した人物と思い込んでしまうほど。
炭治郎のその後の歴史を、早く読み解きたいと思わせる人物。


このマンガの行く末にも、そのたびに驚かされそうだ。
鬼滅隊の中でも鍛錬を積み、強くなったものは、【柱】と呼ぶ。
日本で、【柱】とは、【神様】のこと。
一方で、【ねずこ】は、鬼に咬まれたため、【鬼】なのだが、炭治郎はその鬼と一緒に戦いの旅に出ている。炭治郎が鬼を滅した後に、敗者の鬼に手を合わせている。

一般的な日本人の解釈では、【鬼】は悪者の代名詞ながら、元々の考え方では、【神様】と【鬼】は、表裏一体のもの。
神様も、鬼も、自然界での人智の及ばない現象に対して、人間に利益を与えるものが神様。人間に害を与えるものを鬼と。

また、人間が持ち合わせた心も、一面性だけで語れるものではなく、一個人それぞれの中に、神のような気持ちを抱くこともあれば、鬼のような気持ちを抱くこともある。
人間自身の精神(魂)内部に、二面性を感じる時もある。
つまり、平安時代に生まれた鬼舞辻無惨から始まる【鬼】も、人間自身が作り出してしまった鬼としての魂が著しく凝縮された結果、生まれたものなのではないだろうか?

何かの大きなインパクトがある前までは、
鬼舞辻無惨も、極めて神様の心に近い魂の持ち主だったのではないだろうか?
漫画では、その生まれた背景が書かれているかも知れないが、私には知る由もなく、勝手に妄想しているだけだが、最後には、炭治郎と鬼舞辻無惨との対決の中で、炭治郎の太陽のような清い心で、暗闇でしか生きられないという点で、太陽に相対する月のような、鬼舞辻無惨の心奥に眠っていた神性を取り戻すのかも知れない。それでも、彼はこれまでの人間へしてきた悪行から、自分を解き放つことが出来ずに、人間としての死を選択するのではないだろうか。

いずれにしても、今後、しばらく目が離せない大作となりそうで、ワクワク感が止まらない。