八代亜紀さんの訃報を聞いて

八代亜紀さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

近頃、年齢を重ねてきたためか、子供の頃にラジオ、テレビから、常に流れていた【演歌】がいいな と、感じるようになってきました。

そうした中で、八代亜紀といえば、【舟歌】【雨の慕情】等、力強く、引き込まれてしまう絶大なる歌唱力、人柄的にも、とてもお優しい立派な方だったため、彼女の訃報を知って、思わず、大きな声を出して驚いていました。

人生100年時代といわれて久しくなりましたが、一方で、私たちを、時には勇気づけ、時には励まし、時には愉しませて下さった有名人の方々の、突然の訃報がやけに増えたように痛感しています。多くの有名人が日々、輩出されていることを考えれば、当たり前なのかも知れませんが、元気に活躍されていた時期の記憶が強いためか、亡くなったという事実へシナプスを繋げるまでに時間がかかります。


私にとって大切なお客様方・地元の方々の逝去を、年末・年始の挨拶廻りの際に、知らされていただく人数がとても多くなってきたように感じます。

コロナ禍以降、密葬、家族葬などの近親者だけでの葬儀が多くなってきたことも、挨拶廻り時に驚き聞くケースも増えているように思います。
かつてのように、町内会の掲示板に葬儀のお知らせを、載せるケースも見かけなくなりました。


中には、まだ現役で仕事をされている方の不幸も耳にします。
私も、長男が寝ている間の突然死から5年弱、経過していますが、『時間が解決してくれる』とは昔から聞く言葉ですが、案外とそうでもないのが事実です。
大好きな人が、現世で会えなくなるというのは、やはり辛い。

先日、若くて奥様を亡くされた方と、話をしましたが、やはり、時間が経過した現在でも、心のどこかに風穴が空いてしまっている気持ちだと。
そして、若かろうが、年齢を重ねていても、親でも子でも、愛情が深ければ深いほど、悲しみは消えない。
また、他人様の気持ちを分かったような振りは私には難しい。
それぞれに、それぞれの『想い』があり、それぞれの真の歴史を知らないから。

そう書きつつも、その思いを大切にしながら、それぞれに残りの人生を頑張って生きていかなければならないと思います。まだ生かされている以上、ほんの僅かでも、何かしらの役割が残っていると思いたいから。