7月30日(水)日本時間8時25分頃、M8.7の巨大地震が起き、スマホの地震アラートが鳴り響き、津波警報が出されました。
ロシアの現地も心配ですが、東日本大震災のような津波による甚大なる被害を、想起させた。
『大きな事にならなければいいのだが…』

渥美半島と知多半島に囲われた、三河湾沖合に、大型の自動車運搬船数隻(恐らくトヨタ自動車関連の船でしょう)が、津波警報が解除されるまで、沖合にとどまっていました。

夕方になって、津波警報が解除されても、少し様子見をしていた模様。
船舶、積み荷、陸への座礁を恐れての措置だったのだと考えられます。
3.11以降、津波の怖さを子々孫々まで語り継ぐべく、その後に見られるようになった動画をくまなく閲覧していましたが、船乗りの方々は、常に危険と隣り合わせのため、緊張した時間を過ごしていたことと思われます。

翌朝には、既に船は引きはらっていました。
良かった。無事で。
気仙沼のNEWSが流れていましたが、カキ養殖のイカダが、津波の影響で、壊れてしまったと。他の地でも。
太平洋東海岸沿いは、3.11以降、色々な試練が続きますね。石川能登の方々も、まだ復興の目途が立たず、お気の毒です。

社員研修のために、岡崎城、街のつくり、建物を見学し、
宿泊は、海の見える 愛知県西尾市吉良町のホテルに。
岡崎城から始まった徳川家康といえば、旭区民にも馴染み深い存在。
中原街道は、東海道五十三次整備以前に、彼がよく通行した街道であり、徳川秀忠も奥様のお江の方の所領地を鷹狩りをしながら、見て回っていたらしい。
街道周囲には、三河のお侍さん方の子孫が今も所々に居住し、イザ時のお役目を果たしてきたらしい。

岡崎を代表する若手のユーチューバー人気で、街が盛り上がっていました。
聖地巡礼が盛んらしい。
一方で、【忠臣蔵】では悪役で有名な、吉良上野介の所領地にたまたま宿泊しましたが、江戸での印象とは違い、治水・灌漑を積極的に行い、地元では善政を行う方としての認識で、今でも歴史的に名をとどめている。
見方によって、変わるものですね。

岡崎城の天守閣をバックに、聖地巡礼気分の息子。

この地区では有名らしい、ナリモレンタカー。
当社のエブリーと同型で、最低限にして荷物も運べる優秀な軽バン。そこらで乗る分には、これで十分です。

私も、当時の駆け出しの足軽として、恐いけれど、一旗揚げるべ!的に、出陣気分になってみました。

徳川家康の歴史が幕開けした岡崎城。
江戸に入封になった際に、城主が豊臣方に移り、その変革も含め、様々な歴史をかいくぐり、今の姿に。
大きさや、派手さはありませんが、綺麗に整ったお城でした。

天守閣から。
横浜市旭区近辺と違い、周囲の景色が広い。

天守閣の中は、歴史的刀剣、槍等色々と飾ってありました。

鉄砲は、ポルトガルから日本に伝わってからの、模倣、改良、進化が素早く、当時、世界でも最大の火縄銃所有国だったらしい。
日本は、スイッチが入ると恐ろしい力を秘めていると感じます。

午後3時になって、動き出したからくり人形。

暑い日でしたが、城内の風鈴の音で、涼みました。
日本人に生まれて良かった。

名古屋方面へ向かっている途中。
【マキタ電動工具】の懐かしい書体の看板。
いつの間にか、マキタの電動工具は、建築業界ではメジャーになりました。
愛知県は、トヨタを筆頭に、NGK、日本ガイシ、カゴメ、リンナイ、スギ薬局、JR東海等々、日本が誇る立派な企業が非常に多い。
歴史上の三傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が常識的に有名。
神奈川県だと、崎陽軒、日産、あと、なかなか思い出せない。
歴史上の人物では、源頼朝は京都の人だし、ペリーは、そもそもアメリカ人だし・・・。うーん、少し残念。

名古屋に行ったら、味噌カツ食べなきゃ。
急用ができ、名古屋市に入る寸前で、第二東名で戻ることとなり、どて煮、名古屋コーチン(SAで食べれた)、そして、一番は『ひつまぶし』。
あ~、もう少し食べ歩きしたかった。

矢場とん という店が有名らしい。美味しかった。

後日、どうしても『ひつまぶし』が食べたくて、藤沢市石川の【かわ富士】さんへ。

関東で一般に食べる鰻も美味しいですが、調理法、味変の愉しみが。

表面がパリパリで、中の身も丁度良い食感。
ひつまぶし、美味しかった。

鰻の三つ編み西京焼きも、絶品。
日本酒が、とても似合う味でした。(クルマだったので飲みませんでしたが)
何れにしても、まだまだ味わいきれていない愛知県へ、また行かなきゃ。