緑区の寺社を訪ねて① (筆 長男)

※今回は、長男・小川名輝竜が、文章・写真とも担当しています。

本日は、父(社長)の手伝いで横浜市緑区のお客様へのご挨拶に伺いました。
親子共に歴史学科の性で、ほぼ無意識のうちに寺社・城跡などに足が向いていました。

JR横浜線の中山駅から長津田駅にかけての恩田川流域は、南北を多摩丘陵の舌状台地に囲まれ、田畑が広がっていて寺社も多く点在しているので、とても魅力的な所です。


まず、JR横浜線・中山駅の近くで舌状台地の南側にあり、室町時代初期(1400年頃)に上杉憲清によって築かれた榎下城の地に建立された高野山真言宗・旧城寺へ。


人々の病(特に眼病)を治して下さるという薬師如来を祀る薬師堂もあり、こちらの薬師様は眼が無い「無眼薬師」というそうです。

宇宙無限大 の「無限」という意味合いもあるのでしょうか・・・。

くだらない言葉遊びのようですが、考えていると真実が見つかるような気がしてとてもワクワクします。

本堂裏の本丸跡では梅が咲き溢れ、見上げてみると素敵な観音様と清々しい青空が広がっていました。

城跡だけに、大木が茂っていて緑豊かで、石仏石碑も多く、さらには弓場もあるとても静かな境内でした。

次に、北側の向かいにある高野山真言宗・圓光寺(えんこうじ)へ。ややこじんまりとした境内ながら、本堂や彫刻がとても素敵です。

こちらの寺院には、奈良時代(700年代)の僧・行基に関する伝承があるようで、卒業論文で行基様について書いたばかりの私にはとても興味深いものがあります。

全国各地には、行基様が開創したり、自身が彫った仏像を安置しているなどの伝承がなんと約1400ヶ所あるとされていますが、年代的・美術的にもこれらすべてが事実とはとても言えません。

おそらく、全国に派遣された行基様の弟子たちや後年の行基様を慕う僧が活躍したものが行基様自身のものに伝説化されていったでしょう。

当時の政府(奈良時代)からは、法令違反の僧として疎まれながらも、民衆のために治水事業や土木事業、寺院建立を推し進めて、「行基菩薩」と呼ばれるほどの影響力があった行基様には、ただただ尊敬するばかりです。

私はこの4月から社会に出ますが、行基様をはじめとする先人達に「追いつけ追い越せ」の精神で日々努力していこうと思っています。

続いて恩田川を渡り北側にある日枝神社へ。

祭神は、大山祇命(おおやまづみのみこと)・面足命(おもだるのみこと)・倉稲魂命(うかのみた・お稲荷様)です。
現在の東京以北に多い、日枝神社では大山咋神(おおやまくい)が多いのですが、大山祇命(おおやまづみ)は珍しいですね。

境内には西陽が差し、とても見晴らしが良い神社です。

さらに、背後の山を登っていくとより良い眺めが広がっていました。

拝殿の軒先には、節分の時のものと思われる豆や赤飯、油揚げのお供え物が残っていて、地域の祭りを垣間見ることが出来ました。


②へと続きます。

【文・写真】長男・小川名輝竜